おかえり

父の仕事の関係で非常に転勤が多く、幼稚園も小学校も中学校も高校も全て転校しました。
各学校の入学前と在学途中で引っ越して、ごく小さい時から結婚するまでを数えたら実家は22回位引っ越していました。
1年から1年半位のペースで転勤があったように思います。
 私は子供ながらもある程度覚悟を決めて、「人生至る所に青山あり」と常に新しい環境に馴染もうと努力していたこともあり、また昔は「文通」(もう今や死語だと思います)などでお友達と交流もできてそんなに辛いこととは思ってはいませんでした。
 還暦近くなって主人が1年間フランスで暮らしたいと言い出しました。
それに同行して1年フランスに行き戻ってきました。
 戻ったときに、趣味のサークルの方々が「おかえり」と歓迎とねぎらいの会を開いてくださいました。
 思えば私は、結婚後も含めて次のところに引っ越すと、もとの所には戻ったことがありませんでした。
「おかえり」と言ってもらったのは初めての経験でした。
その時はとても嬉しく、そしてその後もじわじわとずっと嬉しくて「おかえり」ってなんて暖かくて安心できて嬉しい言葉なんでしょうと感動していました。(その時、これまで自分は実はちょっと寂しくて、やせ我慢していたのだなと思いました) また、別の機会の話ですが、私の両親は琵琶湖のある滋賀県の出身でした。
主人に車に乗せてもらって故郷をドライブして、夕暮れの近づいた湖と田んぼを眺めていた時「若い時代の私の両親もこんな景色を見ていたに違いない。私の祖父母も昔こんな湖とこんな田んぼを見ていたに違いない」といった強い思いが浮かんできました。
郷愁というか安心感というか自分の存在の意義が少し感じられたと言うような思いがしました。
この2つの体験から、自分の居場所がしっかりとあると言うのは本当に幸せであり、根源的に必要なことなのだと思えたのでした。
 歳をとると余計に、世の中の進歩や変化が早すぎてついていけないと言うか、ついて行きたくないような気がすることがあります。
メタバースやアバターなどと言う言葉を聞くとルーツやそれまでの長いつながりのある人たちとしっかりと交流していくことに幸せと安心を感じる私などは、本当の顔もわからない身元もわからない人と関わっていく将来と言うのはちょっと憂鬱で不安定な気持ちになります。

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