おもいはまねく

 毛糸で細編みを編んでいます。
 動画で編み方が見られるありがたい時代なので随分助かるのですが、それでも各段の終わりの編み方が不安です。側面の目がきれいじゃない気がするのです。
 編み物が好きかどうかといえば多分今まであまり好きじゃなかったと思います。というかむしろあまりやって来ませんでした。
 洋裁は、子供達が幼稚園に行くようになって少し時間ができた時や高校生になっていろいろな送り迎えをしなくてよくなった頃に二、三年ずつ習いました。腕前には全く自信ありませんが多分好きです。
 私が高校生の頃、仲の良い成績優秀な友達が言ったことがあります。「どの科目が好きとか得意とかそういうのってあんまりないんだよね。結局やった時間が長いと好きになる」
 「確かに」と思いました。
どうも普通の人間の好き嫌い、得意不得意はその程度のものな気がします。
 実家の母は典型的な昔の良妻賢母でした。
我慢強く働き者で、何から何まで自分の手で作れました。
(今でも地方の女性などはこういう人が多いようですが)
私の小さい頃の服はスーツも含めて全て母の手作りでしたし、セーターや長じては着物も母が仕立ててくれました。
人形のセーターやドレスも作ってくれました。
子供心にも、人形に着替えさせて遊ぶことのできる数々の服のは本当に嬉しかった覚えがあります。
 それなので私の中で「お母さん」というものは洋裁などを簡単にこなし、どんな食材を持ってこられてもさっさと料理してしまい、礼儀、付き合い、家事万端に長けた人間であるべきであると言うイメージが強く、そうはできない自分自身に対して歯がゆさやなさけなさを常に感じておりました。
 今も編み物や洋裁に手を出したくなるのも「母とはこういうものだ」という私の持つイメージによる部分も大きいと思います。
 私が理系科目が得意だったのも、英語を全くやる気が起きなかったのも、昭和の初めに生まれ育って男尊女卑を当然と考えていた父が、「女が数学ができるわけがない」とか(外国語に憧れる女の人を評して)「英語、英語と言うてラシャメンみたいに外人に寄ってく品のない女」といったゴリゴリの差別発言を日常的にしていましたが、その父にも認められたかったのが一つの理由だと思います。
 もちろん父の発言はいつもひどいのですが、周りの人たちの発言はもっとひどかったのであまり印象に残らなかったのか、今はそれほど気にはなりません。
 それよりこの年になっても「母のようでありたい」とか「母に褒められたい」とかそういった気持ちが私の中に意外と強く残っているのに驚きます。
 私の子供たちから「お母さんは子どもの頃あまり褒めてくれなかった」と言われて「そうだったかしら?」と不思議な気がしたことがあります。
まぁ私自身の育ってきた環境と比較すると、日常的にけなすようなこともしてないし、ずっとたくさん褒めてきた気もしてたのですが、私自身が還暦を超えても「こんな時母に褒められたら嬉しいだろうな」と思ったりする位ですから褒めてもらうと言う事はとても大事なことかもしれません。(私の両親はずっと前に亡くなりましたが)
 娘は上手に私を褒めてくれて、褒める見本を示してくれることもあります。
それから、何かの折に娘が送ってくれた次の動画は(今さら遅いでしょうが)私に人を育てるときに本当に大事なことを教えてくれます。

そして私のこれからの人生も支えてくれています。

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